2012年5月20日日曜日

35年ぶりの『異邦人』

今日は読書会。
テキストはアルベール・カミュの『異邦人』で、さまざまなテーマをめぐり、2時間半話が止まりませんでした。
奇しくも、先週の「引揚者」シンポジウムでも取り上げられた、というより「やり玉に挙がった」この小説が今日はまったく別の角度から論じられ、多様な読みをうながす作品なのだなあとあらためて実感しました。

個人的には、実家の本棚で見つけた『異邦人』の文庫本に「77年8月12日」と下手くそな字で日付が書き入れられているのを発見したことがなにより一番の驚きでした。
通読したのはだいぶ前に一回きりだったと記憶していましたが、まさか35年も前だったとは。
35年も前の自分など今の自分とは完全に違う人間なわけで、そうなるともう「私はこれを読んだ」と言えないのではという気がしてきます。
当時の私もカミュがフランス人作家だということぐらい知っていたはずですが、この小説の舞台がアルジェの近くだなどとわかっていたでしょうか。たぶんアルジェリアがフランスの植民地だとも知らなかったと思うし、フランスが舞台なのになんだか太陽がギラギラしていて暑そうだなぐらいの理解だったと思います。
なんとなくさらっと面白くは読んだけれど、「すごい!」と熱狂するほどでもなかった記憶があります。

別人間になった今、あらためて読んでみると、簡潔にうまくよく作りこまれている小説だなあとの感想を持ちます。
特に冒頭の葬儀の場面と、浜辺でアラブ人を殺す直前の場面の書き方はすごい。
アラブ人の顔が描かれていないことがポスコロ的批判にさらされていますが、母親の顔も同じように書かれていません。これは即物的な感覚だけを頼りにするムルソーの人物造形のため、あえてこのような描き方が選択されているのだと思います。
(宗主国の人間が被植民者ひとり殺して死刑判決という筋などは、植民地の現実を隠蔽していると言われても仕方ないかもしれませんが)
有名な書き出しも含め、小説にしかありえない不思議な時間が流れている作品とも感じます。

同時に読んだ、アルジェでの貧しかった幼年時代を回想するいくつかのエッセイがよかった。
尊大なおばあちゃんに苛められながら耐えるスペイン系のお母さんへの息子の思慕をつづった「裏と表」など胸キュンでした。

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