2014年からの通信大学院授業で取り上げた本のリスト。備忘録として。
【2014年】
柄谷行人『日本近代文学の起源』講談社文芸文庫、岩波書店
ロラン・バルト、ミシェル・フーコー『言葉と物』抜粋など。
【2015年】
井村君江『ケルトの神話』ちくま文庫
田中仁彦『ケルト神話と中世騎士物語』中公新書
W・B・イェイツ『ケルトの薄明』ちくま文庫
寺尾隆吉『魔術的リアリズム』水声社
【2016年】 (M1不在のため、学部生、M2、卒業生のための自主ゼミとして)
石井洋二郎編『大人になるためのリベラルアーツ』東京大学出版会
佐々木健一『論文ゼミナール』東京大学出版会
YoYo白くなりゆく
京都の山中、yoyo館の住人です
2017年1月6日金曜日
2016年3月7日月曜日
シンポジウム「越境とリミックスの世界文学」
講演会 | 日本女子大学文学部文学研究科主催シンポジウム 「越境とリミックスの世界文学」 |
---|---|
日時 | 2016 (平成28) 年 3月8日(火) 14 : 00 ~ 17 : 30 |
会場 | 日本女子大学 目白キャンパス 新泉山館1階 会議室 |
講師 | 沼野恭子 氏(東京外国語大学) 真島一郎 氏(東京外国語大学) 大辻都 氏(京都造形芸術大学) 温又柔 氏(作家) |
概要 | ■ 第1部 ■ 14 : 00 ~ 16 : 15 挨拶・司会: 高頭 麻子 (日本女子大学・フランス文学) 1.カリブ作家の「渡りの文学」-マリーズ・コンデを中心に
大辻都 氏(京都造形芸術大学・カリブ海文学)
2.そもそもアフリカに根はあったのか-東アジアの視界から
真島一郎 氏(東京外国語大学・アフリカ民族誌)
3.境界線上の子供-日本語圏の<新しい>台湾人として-
温又柔 氏(作家)
4.時空の越境と<ユダヤ性>-ツィプキンとウリツカヤ
沼野恭子 氏(東京外国語大学・ロシア文学)
■ 第2部 討論 ■ 16 : 30 ~ 17 : 30 |
参加対象者 | 学生・研究者・一般 |
参加費 | 無料 |
お申込み方法 | 事前の申し込みは不要です。直接会場にお越し下さい。 |
主催 | 日本女子大学 文学部・大学院文学研究科 |
問合せ先 | 日本女子大学 文学部 高頭研究室 Tel: 03-5981-3595 E-mail: takato@fc.jwu.ac.jp |
2015年8月21日金曜日
ASLE Japan エコロジカルな視線で見たフランス語圏文学
8月23日(日)、ASLE-Japan文学・環境学会全国大会(長野県小諸市)にて、
フランス語圏パネル「エコロジカルな視点で見たフランス語圏文学」をおこないます。
以下プログラムの内容です。
本学会でフランス語圏の研究者が発表をする初めての機会となります。
うまくゆくといいのですが。
「エコロジカルな視点で見たフランス語圏文学」...
コーディネーター:大辻都(京都造形芸術大学)、発表者:鵜戸聡(鹿児島大学)、大辻都、笠間直穂子(國學院大學)、工藤晋(東京都立国分寺高校)
フランス語で書かれてきた文学の背後には、ヨーロッパ内陸の平野部、アルプスの山地、地中海、大西洋、カリブ海の沿岸部など、一様でない風景と気候環境が控えている。本パネルでは、広範な地理的ひろがりを有したフランス語圏を共通の土壌として、環境との関わりにおいて紡ぎだされる文学活動を検討してゆく。
各発表の内容:
涸れ河と猛禽:
アルジェリア文学の環境世界
鵜戸聡
フランス人による植民地表象へのカウンターディスコースとしての側面を持つ初期アルジェリア文学において、北アフリカの大地は自律した一個の世界として提示される。本発表ではカテブ・ヤシンのテクストを中心に、生まれつつある世界としてのアルジェリアが涸れ河や猛禽の形象によって幻視されるさまを紹介する。
塩鱈を喰らうちびジャン アメリカ植民地をめぐる漁師と奴隷の500年
大辻都
近代以降、大西洋を経由して他所へ向かう玄関だったブルターニュは、カナダやカリブ海へ移民を送り出した。この人的交流に導かれた口承文芸の地球規模での伝播を見るとともに、ブルトン人漁師により北の海で水揚げされた塩鱈がカリブの奴隷と交換され、奴隷の日常食として定着するサイクルにも注目する。
ラミュの描くスイス
笠間直穂子
スイス・ロマンドを代表する作家、シャルル=フェルディナン・ラミュは、生地の風土に見合った独自の文学言語を探求した。本発表では、ラミュの小説において、スイスの風景が、人間の暮らしと深く結びついた形で描かれるさまを見、ラミュの描き出す自然と人間との関係が、スイス固有の文化を表すとともに神話的な普遍性を帯びることを示す。
工藤晋
世界を混血的複合性の相でみわたす巨大な神話的ディスクールを展開した仏領マルティニク島出身の詩人・思想家エドゥアール・グリッサンのエッセイ集『ラマンタン湾』(2005)に展開される「存在の揺れ」の思考をたどり、作家晩年の越境の詩学について考える。
フランス語圏パネル:2015年8月23日(日)10時35分〜12時5分 安藤百福自然体験指導者養成センター・カンファレンスホール
フランス語圏パネル「エコロジカルな視点で見たフランス語圏文学」をおこないます。
以下プログラムの内容です。
本学会でフランス語圏の研究者が発表をする初めての機会となります。
うまくゆくといいのですが。
「エコロジカルな視点で見たフランス語圏文学」...
コーディネーター:大辻都(京都造形芸術大学)、発表者:鵜戸聡(鹿児島大学)、大辻都、笠間直穂子(國學院大學)、工藤晋(東京都立国分寺高校)
フランス語で書かれてきた文学の背後には、ヨーロッパ内陸の平野部、アルプスの山地、地中海、大西洋、カリブ海の沿岸部など、一様でない風景と気候環境が控えている。本パネルでは、広範な地理的ひろがりを有したフランス語圏を共通の土壌として、環境との関わりにおいて紡ぎだされる文学活動を検討してゆく。
各発表の内容:
涸れ河と猛禽:
アルジェリア文学の環境世界
鵜戸聡
フランス人による植民地表象へのカウンターディスコースとしての側面を持つ初期アルジェリア文学において、北アフリカの大地は自律した一個の世界として提示される。本発表ではカテブ・ヤシンのテクストを中心に、生まれつつある世界としてのアルジェリアが涸れ河や猛禽の形象によって幻視されるさまを紹介する。
塩鱈を喰らうちびジャン アメリカ植民地をめぐる漁師と奴隷の500年
大辻都
近代以降、大西洋を経由して他所へ向かう玄関だったブルターニュは、カナダやカリブ海へ移民を送り出した。この人的交流に導かれた口承文芸の地球規模での伝播を見るとともに、ブルトン人漁師により北の海で水揚げされた塩鱈がカリブの奴隷と交換され、奴隷の日常食として定着するサイクルにも注目する。
ラミュの描くスイス
笠間直穂子
スイス・ロマンドを代表する作家、シャルル=フェルディナン・ラミュは、生地の風土に見合った独自の文学言語を探求した。本発表では、ラミュの小説において、スイスの風景が、人間の暮らしと深く結びついた形で描かれるさまを見、ラミュの描き出す自然と人間との関係が、スイス固有の文化を表すとともに神話的な普遍性を帯びることを示す。
カリブ海から発信される「エコロジー的世界観」
エドゥアール・グリッサンの『ラマンタンの入江』(2005年)をめぐって工藤晋
世界を混血的複合性の相でみわたす巨大な神話的ディスクールを展開した仏領マルティニク島出身の詩人・思想家エドゥアール・グリッサンのエッセイ集『ラマンタン湾』(2005)に展開される「存在の揺れ」の思考をたどり、作家晩年の越境の詩学について考える。
フランス語圏パネル:2015年8月23日(日)10時35分〜12時5分 安藤百福自然体験指導者養成センター・カンファレンスホール
2015年3月23日月曜日
新刊『芸術大学でまなぶ文芸創作入門』
今月、大辻都著『芸術大学でまなぶ文芸創作入門――クリエイティブ・ライティング/クリエイティブ・リーディング』(ブイツーソリューション)が刊行されました。
2015年度より大学のテキスト科目で使用する教科書ではありますが、一般向けの創作入門書として読まれることも意識して書かれており、少部数ですが、セブンネット、hontoなどネット書店を中心に書店にも流通します。
以下、内容の目次です。
はじめに
Ⅰ. クリエイティブに書く!
第一章 小説は「書き出し」が命
背景を説明し尽くすリアリズム的手法
独自の小説世界に引き入れる
文章の新鮮さでインパクトをあたえる
唐突な書き出し
読者への呼びかけ
枠物語(額縁小説)
ギリシア悲劇的な構造の提示
第二章 語り手を設定せよ
一人称か三人称か
2015年度より大学のテキスト科目で使用する教科書ではありますが、一般向けの創作入門書として読まれることも意識して書かれており、少部数ですが、セブンネット、hontoなどネット書店を中心に書店にも流通します。
以下、内容の目次です。
はじめに
Ⅰ. クリエイティブに書く!
第一章 小説は「書き出し」が命
背景を説明し尽くすリアリズム的手法
独自の小説世界に引き入れる
文章の新鮮さでインパクトをあたえる
唐突な書き出し
読者への呼びかけ
枠物語(額縁小説)
ギリシア悲劇的な構造の提示
第二章 語り手を設定せよ
一人称か三人称か
介入する語り手
二人称の実験
信頼できない語り手
枠物語の語り手たち
第三章 プロットとストーリー
アリストテレスの定義、フォースターの定義
「逆転」と「発見」の魅惑
谷崎潤一郎「途上」のプロットを探る
実践:プロットのある小説を書いてみる
プロットは本当に必要なのか?
第四章 読ませる会話術
基本的な会話文の表記
その他の会話文の表記
会話で状況を説明する
「何気ない会話」を創る
三人以上の会話
会話によって関係を進展させる
方言の可能性
作品の色となる会話
会話で構成された小説
ポリフォニー小説
Ⅱ. クリエイティブに読む!
第一章 「異能の女」の系譜をたどる
桜庭一樹『赤朽葉家の伝説』
逆読み文学史の試み
年代記と戦後史
「紅緑村」という場所(トポス)
意思を持つ家
第二章 魔術的リアリズム――幻視する女たち
ガルシア=マルケス『百年の孤独』「無垢なエレンディラと無情な祖母の信じがたい悲惨の物語」
魔術的リアリズムとは
ラテンアメリカの驚異的現実
寓話の喚起するイメージ
第三章 口承、クレオール、時空を旅する想像力
中上健次『千年の愉楽』/コンデ『生命の樹』/ウルフ『オーランドー』
声と文字と
クレオールの陽気な死者たち
男から女へ――時空も性も飛び超える
第四章 古典×現代リミックス①
田山花袋『蒲団』/中島京子『FUTON』
私小説はここから生まれた
「打ち直し」というリサイクル――『蒲団』から『FUTON』へ
『FUTON』を流れる三つの時間
第五章 古典×現代リミックス②
C・ブロンテ『ジェイン・エア』/リース『サルガッソーの広い海』
貧しい少女の自己実現の物語
ポストコロニアル視線で見たイギリス紳士と「狂気」の妻
第六章 複数の無人島
デフォー『ロビンソン・クルーソー』/トゥルニエ『フライデーあるいは太平洋の冥界』/桐 野夏生『東京島』ほか
新しい想像力と近代的人間の誕生
ロビンソンの子孫たち
無人島とセクシュアリティ、女性、生贄
「東京島」が生む原型としての群像劇
おわりに
本書で参照した文献リスト
2014年11月3日月曜日
立命館大学書評会報告
11月1日におこなわれた立命館大学・環カリブ文化研究会の書評会「大辻都『渡りの文学』を読む」の報告をしておきます。
西成彦先生の司会により、文芸批評家の陣野俊史さん、編集者で書評家でもある寺本衛さんのコメント・質問に、大辻が応答するというかたちで進められました。
まず司会の西先生から、フランス語圏文学を、隣接する英語圏やスペイン語圏の文化・文学との関わりにおいて論じている点が本書の特徴として挙げられ、これがマリーズ・コンデという作家の特質なのか、それとも筆者の戦略的意図によるものなのかという大きな問いを立てられました。この問いは後の議論のなかで明らかになっていきます。
続いて陣野さんから、本書は「語りについて延々と書かれたもの」とのコメントがありました。特にコンデのデビュー作『ヘレマコノン』(1976)における対話についてご質問がありましたが、ここでは対話の問いと答えの位相のズレに個人を超えた歴史的な光景が立ち現れること、それが当時流行していたヌーヴォー・ロマンの実験性と似て非なるものだということなどを応答しました。
また『マングローヴ渡り』で論じた「外からやってくる者」「ハリケーン」の意味するものについて質問がありました。
「外からくる者」は『マングローヴ渡り』(1987)のテーマですが、この小説がカリブ海の奴隷による通夜と同じ構造を持っており、多くの語りの声が引き継がれていくことにより、死者であるよそ者=白人植民者が弔われるかたちになっています。埋葬、弔いを扱った文学には古くは『アンティゴネー』やフォークナーの『死の床に横たわりて』などもありますが、ここでは海の向こうから来た「よそ者」が喪の対象であることが(ガルシア=マルケスの『落葉』も同様)カリブ海的と言えるのかもしれません(西先生による「浦島太郎」伝説参照もありました)。
「ハリケーン」は、東日本大震災なども念頭に置いた質問だったと思いますが、これはもちろんなにかの象徴ではなく、カリブ海の人間にとっては避けようのない、暴力的な自然という現実ととらえています(そういえば議論で出たスカーフ事件の年でもある1989年は、グアドループでは巨大ハリケーンの年)。
「語り」「人称」については、最近の日本の小説における人称の複雑化がおもに技術的なところに終始しているなかで、複雑な人称使用と関係が物語世界を創るうえで必然である参照例として、陣野さんが(中村隆之さんの偏愛する作家でもある)桐山襲の『聖なる夜 聖なる穴』(1987)を紹介されました。
これに関連して、現在、日本語で書かれるなかでの可能性として「沖縄」を挙げられましたが、沖縄とカリブ海の接続可能性については、あの場に集まった方々にはもとより共有されているのではないかと推察します。
陣野さんが物語内容というより小説固有の「語り」を論じた箇所に着目して問いを立て、書かれたテキストそのものに寄り添ったかたちでカリブ海の問題とつなげてくださったのはうれしく、ありがたかったです。筆者としては、まさにそこを意識して書いていたのだということが思い出され、できればもっと議論を続けたかったと感じました。
寺本衛さんはまず、5月に出た雑誌『ラティーナ』に掲載された書評内容をまとめてくださいました。そこでは、80年代以降の日本でのクレオール文学紹介・受容の変遷がたどられ、その末端に本書も位置づけられています。そのうえでラテンアメリカ地域研究の立場から、本書のカリブ海状況にかんする記述がややフランス語圏にかたよっているところがあるとの指摘をしてくださいました。フランス語圏から発信されたクレオール理論が「独立」など直接的な現実の厳しさに即したものではないのではないかとのコメントには、会場から異議も出ました。また、コンデがしばしば小説でキューバを描くことについて、独立戦争を戦った島という理想を見ているのではというご意見をいただきました。
他に、ジーン・リースとコンデの資質の違い、時代的にジルベルト・フレイレ(ブラジル)のルーゾ・トロピカリズモの影響を受けていたのか、「乳白化願望」(ファノン)をいかに作品内で処理したか、奴隷女性の声を取り込むにあたっての作家としての倫理性などの質問、コメントが挙がりました。
残念ながら当日参加できなかった久野量一さんからはメッセージとともに、『渡りの文学』にちなんで、通夜、埋葬や逃亡奴隷がテーマの、スペイン語圏を中心としたカリブの画家による絵画作品図版が送られてきました。カリブ海のアートと文学を連関的に見るという試み、まさに私も考えていたので、「やられた!」と思いました。
またメッセージの内容は、冒頭の西先生の問いとも関係していましたが、やはりコンデ作品そのものが(大辻が戦略的に論じているというより)、つねに隣接するさまざまな言語圏とフランス語圏の関わりにおいて書かれていると言うことができます。
やはりご欠席の東琢磨さんも本書をていねいに読んでくださったうえで、本書で大辻が参照したポール・リクールと絡めてのヒロシマの記憶の問題やマルーンのテーマと絡めた東南アジアの小説『ゾミア』などに触れたコメントをお寄せいただきました。
あの場ではコメントしませんでしたが、この長い論考を書くにあたり、日本ではまず注目の集まるクレオール諸理論も視野に入れたうえで、そこと関係しつつもその範囲だけではとらえられないものとしてコンデ作品を読むこと、また「第3世界の女性文学」を論じる定形化したスタイルで論考を閉じたものにしないことを考え続けました。いずれにしても「広がり」を意識した論考ですが、結果としてうまく行ったかわかりません。
それでも今回の書評会にしろ、女性だけでなく、少なくない「コワモテ」男性たちが、短いとはとても言えない拙著につき合ってくださったことは意外で、うれしさを感じます。
大きな「切り口」「読み」がないという趣旨の指摘もいただきましたが、これはそうした姿勢を取ることをどうしても躊躇してしまう書き手の受動的な資質かと思っています。個人的なものなのかそれ以上のなにかあるのか、どうなのでしょう。
最後に今回の書評会開催をパリで療養中のマリーズ・コンデがとても喜んでくれており、書評会に遠くから「思いをはせている」とのメッセージをいただきました。
お集まりいただいた方々には、心からの感謝を申し上げます。
大辻 都
西成彦先生の司会により、文芸批評家の陣野俊史さん、編集者で書評家でもある寺本衛さんのコメント・質問に、大辻が応答するというかたちで進められました。
まず司会の西先生から、フランス語圏文学を、隣接する英語圏やスペイン語圏の文化・文学との関わりにおいて論じている点が本書の特徴として挙げられ、これがマリーズ・コンデという作家の特質なのか、それとも筆者の戦略的意図によるものなのかという大きな問いを立てられました。この問いは後の議論のなかで明らかになっていきます。
続いて陣野さんから、本書は「語りについて延々と書かれたもの」とのコメントがありました。特にコンデのデビュー作『ヘレマコノン』(1976)における対話についてご質問がありましたが、ここでは対話の問いと答えの位相のズレに個人を超えた歴史的な光景が立ち現れること、それが当時流行していたヌーヴォー・ロマンの実験性と似て非なるものだということなどを応答しました。
また『マングローヴ渡り』で論じた「外からやってくる者」「ハリケーン」の意味するものについて質問がありました。
「外からくる者」は『マングローヴ渡り』(1987)のテーマですが、この小説がカリブ海の奴隷による通夜と同じ構造を持っており、多くの語りの声が引き継がれていくことにより、死者であるよそ者=白人植民者が弔われるかたちになっています。埋葬、弔いを扱った文学には古くは『アンティゴネー』やフォークナーの『死の床に横たわりて』などもありますが、ここでは海の向こうから来た「よそ者」が喪の対象であることが(ガルシア=マルケスの『落葉』も同様)カリブ海的と言えるのかもしれません(西先生による「浦島太郎」伝説参照もありました)。
「ハリケーン」は、東日本大震災なども念頭に置いた質問だったと思いますが、これはもちろんなにかの象徴ではなく、カリブ海の人間にとっては避けようのない、暴力的な自然という現実ととらえています(そういえば議論で出たスカーフ事件の年でもある1989年は、グアドループでは巨大ハリケーンの年)。
「語り」「人称」については、最近の日本の小説における人称の複雑化がおもに技術的なところに終始しているなかで、複雑な人称使用と関係が物語世界を創るうえで必然である参照例として、陣野さんが(中村隆之さんの偏愛する作家でもある)桐山襲の『聖なる夜 聖なる穴』(1987)を紹介されました。
これに関連して、現在、日本語で書かれるなかでの可能性として「沖縄」を挙げられましたが、沖縄とカリブ海の接続可能性については、あの場に集まった方々にはもとより共有されているのではないかと推察します。
陣野さんが物語内容というより小説固有の「語り」を論じた箇所に着目して問いを立て、書かれたテキストそのものに寄り添ったかたちでカリブ海の問題とつなげてくださったのはうれしく、ありがたかったです。筆者としては、まさにそこを意識して書いていたのだということが思い出され、できればもっと議論を続けたかったと感じました。
寺本衛さんはまず、5月に出た雑誌『ラティーナ』に掲載された書評内容をまとめてくださいました。そこでは、80年代以降の日本でのクレオール文学紹介・受容の変遷がたどられ、その末端に本書も位置づけられています。そのうえでラテンアメリカ地域研究の立場から、本書のカリブ海状況にかんする記述がややフランス語圏にかたよっているところがあるとの指摘をしてくださいました。フランス語圏から発信されたクレオール理論が「独立」など直接的な現実の厳しさに即したものではないのではないかとのコメントには、会場から異議も出ました。また、コンデがしばしば小説でキューバを描くことについて、独立戦争を戦った島という理想を見ているのではというご意見をいただきました。
他に、ジーン・リースとコンデの資質の違い、時代的にジルベルト・フレイレ(ブラジル)のルーゾ・トロピカリズモの影響を受けていたのか、「乳白化願望」(ファノン)をいかに作品内で処理したか、奴隷女性の声を取り込むにあたっての作家としての倫理性などの質問、コメントが挙がりました。
残念ながら当日参加できなかった久野量一さんからはメッセージとともに、『渡りの文学』にちなんで、通夜、埋葬や逃亡奴隷がテーマの、スペイン語圏を中心としたカリブの画家による絵画作品図版が送られてきました。カリブ海のアートと文学を連関的に見るという試み、まさに私も考えていたので、「やられた!」と思いました。
またメッセージの内容は、冒頭の西先生の問いとも関係していましたが、やはりコンデ作品そのものが(大辻が戦略的に論じているというより)、つねに隣接するさまざまな言語圏とフランス語圏の関わりにおいて書かれていると言うことができます。
やはりご欠席の東琢磨さんも本書をていねいに読んでくださったうえで、本書で大辻が参照したポール・リクールと絡めてのヒロシマの記憶の問題やマルーンのテーマと絡めた東南アジアの小説『ゾミア』などに触れたコメントをお寄せいただきました。
あの場ではコメントしませんでしたが、この長い論考を書くにあたり、日本ではまず注目の集まるクレオール諸理論も視野に入れたうえで、そこと関係しつつもその範囲だけではとらえられないものとしてコンデ作品を読むこと、また「第3世界の女性文学」を論じる定形化したスタイルで論考を閉じたものにしないことを考え続けました。いずれにしても「広がり」を意識した論考ですが、結果としてうまく行ったかわかりません。
それでも今回の書評会にしろ、女性だけでなく、少なくない「コワモテ」男性たちが、短いとはとても言えない拙著につき合ってくださったことは意外で、うれしさを感じます。
大きな「切り口」「読み」がないという趣旨の指摘もいただきましたが、これはそうした姿勢を取ることをどうしても躊躇してしまう書き手の受動的な資質かと思っています。個人的なものなのかそれ以上のなにかあるのか、どうなのでしょう。
最後に今回の書評会開催をパリで療養中のマリーズ・コンデがとても喜んでくれており、書評会に遠くから「思いをはせている」とのメッセージをいただきました。
お集まりいただいた方々には、心からの感謝を申し上げます。
大辻 都
2014年10月29日水曜日
大辻都『渡りの文学』を読む
今週末、立命館大学・環カリブ文化研究会で、拙著の書評会をしていただけることになりました。
とても光栄なことです。
気鋭の批評家の方々を相手にうまく応答できるかわかりませんが。
マリーズも、この本の出版をとても喜んでくれています。
大辻都『渡りの文学』を読む
書 評 者:寺本衛 (三省堂 書店)
:陣野俊史(早稲田大学)
応 答:大辻都 (京都造形芸術大学)
司 会:西成彦 (立命館大学)
日 時:201 4年 11 月 1日( 土)
15:30~18:00
場 所:立命館大学 衣笠キャンパス
末川記念会館 第 2会議室
主催: 2014 年度 立命館大学国際言語文化研究所・重点プロジェクト「環カリブ文化研究会」
とても光栄なことです。
気鋭の批評家の方々を相手にうまく応答できるかわかりませんが。
マリーズも、この本の出版をとても喜んでくれています。
大辻都『渡りの文学』を読む
書 評 者:寺本衛 (三省堂 書店)
:陣野俊史(早稲田大学)
応 答:大辻都 (京都造形芸術大学)
司 会:西成彦 (立命館大学)
日 時:201 4年 11 月 1日( 土)
15:30~18:00
場 所:立命館大学 衣笠キャンパス
末川記念会館 第 2会議室
主催: 2014 年度 立命館大学国際言語文化研究所・重点プロジェクト「環カリブ文化研究会」
2014年9月17日水曜日
シモーヌ・シュヴァルツ=バルトをめぐって
今週末、立命館大学にて発表予定です。
2014年度 立命館大学国際言語文化研究所・研究所重点研究プロジェクト
「環カリブ地域における言語横断的な文化/文学の研究」
2014年9月21日(日) 14:00~17:30
立命館大学 衣笠キャンパス 末川記念会館 第3会議室
「英語・スペイン語・フランス語・オランダ語、さらにはクレオール系諸語の壁をまたいで」
講師:
1) 久野 量一 (東京外国語大学)
「環カリブの文学は何語で書かれているか?――非英語圏カリブ作家と英語について」
2) 西 成彦 (立命館大学)
「コロンブス暦「第六世紀」の「アメリカ大陸文学」と「五つの大きな舌」――オランダ領アンチルの位置」
3) 中村 隆之 (大東文化大学)
「ランガージュと潜在するもの:エドゥアール・グリッサンの詩学を印す一つの踏み跡として」
4) 大辻 都 (京都造形芸術大学)
「シモーヌ・シュヴァルツ=バ ルト『ティジャン・ロリゾン』をめぐって――クレオール・コントとフランス語小説のはざま」
司会: 西 成彦 (立命館大学)
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