2012年12月29日土曜日

年末雑感

怒涛の一年が終わろうとしています。
仕事納めの日、コースの同僚たちとこじんまり、今年最後の京都の夜を過ごしました。
深夜の碁盤の目をさまよい歩き、夜明けも近い鴨川べりのベンチで話したのが楽しかった。

関西に来て8カ月。
心身ともにきつい時期が続いていて、異郷で孤軍奮闘している感がありましたが、
気づいてみれば多少とはいえ人とのつながりもできており、そのぶん悪い意味での緊張が
緩みつつあるのを感じます。
移動とストレスの多い生活で、かえって家族のありがたさも意識できました。

生活者として京都を見る余裕が出てきたところで、今年いっぱいはと諦めていた
(あるいは甘えていた)自分の仕事も始めたいと思います。
とはいえ、しばらく頭から離れていたので、いろいろ考えたり読んだりするリハビリが
必要な気が。

2012年12月25日火曜日

喰って喰われて:太地にて

来年の授業プログラムに入れているというのにじつは最後まで読んでいない
メルヴィルの『白鯨』片手に、和歌山県の太地町を訪れました。
紀伊半島最南端にほど近い入り江にあり、
太平洋側にこんなところがと驚くほど美しく静かな町です。
それだけでなく、17世紀以来続いた古式捕鯨の本拠地ならではの
個性的な土地柄を感じさせます。
最近は捕鯨に強硬に反対するシーシェパードに糾弾され、
映画『ザ・コーヴ』の舞台ともなりました。
 
お客が入ってなんぼの鯨肉専門店に「Keep Out」の貼り紙がされてているのは、
正直ショックです。
つまりこの表現の意味が理解できる者は入るなと考えればいいのか。
私たちは一応理解できましたが敷居をまたぎ、
こんな物物しい貼り紙とは不似合いの穏やかなおばちゃんと世間話などしながら、
いくつかの品物を買いました。
 
くじら博物館では、ハナゴンドウ、コビレコンドウなど鯨たちに
手ずから餌をやることができます。
シシャモらしき小魚を「はいっ」と投げてやると、「もっとちょうだい」と
逆三角形のお口を開けて待っている。
ヒレを振ったり、尾っぽを振ったり、潮を吹いたりしながら。
とても可愛い。
 
そしてゴンドウクジラのこの可愛い尾っぽの刺身、オノミは正直とても美味しい。
 
鯨やら海豚やら、こんな可愛い動物を食べてはいけないという人々がいる。
では牛や豚は可愛くないのか?
牛も豚もシシャモも全部可愛い。
でも生態系を乱さぬ範囲で、他の動物の命をいただくのはいいと私は思います。
 
19世紀にはアメリカでもカナダでも捕鯨が盛んで、ペリーが黒船で日本に来たのは
捕鯨基地をもとめてのことだったのはよく知られていますが、
くじら博物館のアメリカの捕鯨コーナーをまわっていて、当時のアメリカ合衆国の
捕鯨船乗組員のほとんどがアフリカ系アメリカ人とカーボ・ヴェルデ人だったことを
知りました。
フィクションである『白鯨』の乗組員たちも大半が「野蛮人」ですが、
そんななかでNYの白人なのにみずから捕鯨船に乗り込んだメルヴィルって相当に
変わり者ですね。
 
 

2012年12月23日日曜日

高橋睦郎「季をひろう」

朝日新聞土曜版beより、高橋睦郎の言葉。
冬至の柚子とは「太陽を象ったもの」。
今まで意識していませんでした。
あの黄色い球はなるほど太陽です。

二日続けて、柚子湯に入りました。

2012年12月21日金曜日

冬至ウォーキング


今日は誕生日=冬至=一年のゼロ地点という数年に一度の日。
大阪アースダイバーごっこ(中沢新一)にハマっているため、大阪最古の地主神が祀られている旧坐摩神社跡へ日の出を見に行きました。

前も書いたように、ここは冬至の早朝、生駒山系高安山からのぼる陽光が巫女に神の子を宿らせたと考えられた場所。
今はビルの谷間になっていて、視界の開ける難波宮まで出て初めて薄オレンジの陽光が拝めるのですが、この日の太陽と神社の位置関係にはなるほどと納得。

魅惑的な冬至ウォーキングでした。
 
家ではビデオを見ながら、カヒコフラの火山の踊りを見よう見まねで踊る。
よく動きました。

2012年12月17日月曜日

『大阪アースダイバー』

状況はどうあれ投票へは行くというのが方針でありながら、
転入届の提出が大幅に遅れたため現住所では投票できず、
アメリカ在住の時以来の棄権です。

ところで。
中沢新一の『大阪アースダイバー』がめっぽう面白い。
古代の地形から都市の成り立ちを読み解くのが「アースダイバー」のスタンスですが、
東京をテーマとした元祖より面白いと思います。

二千年前にはほぼ海底にあったのが砂の堆積により形成された土地であり、
海民と先住民が交流して「無縁」が基本である商いの都市を生み出したとの解釈は
大胆にして新鮮です。
そしてその形成の核になるのが、もともとの陸地である南北の上町台地のライン
(アポロン軸)と、この正しいラインを生駒山の方向へ捻じ曲げる東西の河内のライン
(ディオニュソス軸)のふたつの軸。

偶然にも私自身の大阪との関わりというのが、海であった梅田でも心斎橋でもなく、
まさにアポロン軸たる谷町筋(谷町線)とディオニュソス軸たる河内(近鉄南大阪線)
で、つねにこの北から南へ、西から東へというL字型を移動しているのが日常であります。
そして私の大阪での精神的拠点はなぜだか、かつて一時期住んだことのある
大阪市中央区石町であり続けているのですが、ここは上町台地の北端に位置します。

本書によれば、ここは新羅の渡来人であるツゲ氏(都下とも書かれる)が
渡辺氏と名を変え支配した一帯であり、豊臣秀吉により強制移住が命じられるまでは、
河内王朝最古の地主神を祀った坐摩神社があった場所なのでした。
これは中沢氏の推察の域にはあると思いますが、冬至の日、生駒山からの最初の陽光が
射すのが坐摩神社の位置であり、
つまり古代の人々は、この光により巫女が神の子を産むと考えていたという。

冬至っ子の私には、あまりに刺激的な発想ではありませんか。
間もなく来る冬至の日には、ぜひとも石町の坐摩神社跡に行ってみたいと思います。
さらにまた、私の移動ラインの続きである、上町台地(アポロン軸)北端から
東へ向けてのライン(京都市伏見区あたりまで)、伏見区から左京区までの
南から北へのラインという逆L字ラインについても、自分で考えてみたいです。

土地について考えるのは、なんでこう楽しいんでしょうか。

2012年12月12日水曜日

ハイジの館

ケベックのナショナル・アイデンティティについての話を聞きに京都大学まで歩こうとしたら、
途中で霰がバラバラと降ってきて、ついタクシーに乗りました。
一昨日の雪の日は、熱を出して布団から出ませんでしたが、やはり京都の冬は寒い!

しかし晩秋以降のyoyo館は、木立の冬枯れた感じがなんともロマン主義的にすばらしく、
あるいはまた、お部屋に籠るハイジの気持ちにも浸れ、うっとりです。

ハイジ気分を高めようと、ラブリーな赤いギンガムチェックでカーテンを縫い、
丸見えの入り口の間仕切りにしました。

これだけ落ち葉が豪勢にあると、焼き芋がしたいのが人情です。
事務の女性たちを焚火に誘い、ブランド薩摩芋(熊本のとろ蜜芋)をひと箱買い、
いざ焚火のやり方を調べてみると……
こんな山のなかでやってはいけないことは、基本中の基本でした。
もの知らずを恥じ、出直します。

2012年12月7日金曜日

ガケ書房の「北と南」

大学近くの白川通り沿いに「ガケ書房」というちいさな書店があって、
毎日バスで通り、たまに立ち寄ります。
今日、久しぶりにのぞいたら、私も寄稿している『北と南』最新号が置いてありました!
表紙を向けるかたちで、目立つ場所に二か所も!

このブログでお知らせしそびれていましたが、2か月ぐらい前に第3号が出たのです。
私は自信作、「レッドダート・ブルーズ」を連載しています。

感度がよく、すばらしくていねいに作られているこの雑誌、関西では大阪のカロ・ブックス、
京都の恵文社一乗寺店にも置かれています。

恵文社もガケ書房も、ちいさな雑誌や書店員の目で絞り込んだ書籍を集めた、入って
うれしくなるような書店です。
こういうのがあるところが、京都の魅力ではあります。
相変わらず、有名な寺社仏閣にはひとつも行かないまま、もみじのシーズンは過ぎ去って
しまいましたが。

ガケ書房の電話とファックス番号見ていて笑いました。
電話:ナニヨオールナイト
ファックス:ナニッ クルシイオッサン

こういうの大好きです。
私の昔の電話は、ミニデムリヤリ オドローゴーゴーでした。